白河町

白河町
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東北地方の南隅、阿武隈川の上流に位置し、陸羽街道上重要な地点を占めています。人口約2万、福島県南部の物資集散地で、製糸、醸酒の工業が行われます。有名な白河の馬市は江戸時代の初期から行われていましたが、江戸時代後期の寛政年間(1789~1801年)藩主松平定信が大いに保護を加えてから出場の頭数が著しく増加し、以来幕末まで町民は毎年馬市の際の収入で半年以上の生計を支えていたと称する程に盛んでした。現在では年2回、春は3月12日から17日まで、秋は9月29日から10月3日までの間、町営の馬市場で行われ、特にその秋の市には出馬の数は1万頭に近く、白河駅からの馬の発送数は1年1万5,000頭におよびます。また東京方面で需要される白河石は付近の西郷村や五箇村から産出し、年産約2万トンにおよび、白河駅は石材輸送の点で、東北第1位を占めています。この地方は古昔白河国と呼ばれ、大化改新の後陸奥の郡に編入されました。奈良時代の神亀2年(725年)には陸奥国の要請に応じて白河軍団を置き、平安時代におよんで白河荘が立てられました。鎌倉時代に、結城氏は居城を搦山に構え、後小峰城に移り、戦国時代におよびました。江戸時代に至り丹羽氏は小峰城を改修して鎮城としました。近世の白河城市はこの時から始まっています。後松平、本田、阿部などの諸氏が城主となり幕末におよびました。

※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行

令和に見に行くなら

名称
白河町
かな
しらかわまち
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
合併により白河市となっています。
住所
福島県白河市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

東北地方の南隅、阿武隈川の上流に位し、陸羽街道上重要の地點を占めて居る。人口約二萬、福島縣南部の物資集散地で、製絲、釀酒の工業が行はれる。有名な白河の馬市は江戶時代の初期から行はれて居たが、寬政年閒藩主松平定信が大に保護を加へてから出場の頭數が著しく增加し、爾來幕末まで町民は每年馬市の際の收入で半年以上の生計を支へて居たと稱する程に盛であつた。今では年二回、春は三月十二日から十七日まで、秋は九月廿九日から十月三日までの閒、町營の馬市場で行はれ、特にその秋の市には出馬の數は一萬頭に近く、白河驛からの馬の發送數は一年一萬五千頭に及ぶ。また東京方面で需要される白河石は附近の西鄕村や五箇村から出し、年產約二萬噸に及び、白河驛は石材輸送の點で、東北第一位を占めて居る。この地方は古昔白河國と呼ばれ、大化改新の後陸奧の郡に編入された。神龜二年には陸奧國の請に應じて白河軍團を置き、平安時代に及んで白河莊が立てられた。鐮倉時代に、結城氏は居城を搦山に構へ、後小峰城に移り、戰國時代に及んだ。江戶時代に至り丹羽氏は小峰城を改修して鎭城とした。近世の白河城市はこの時から始まつて居る。後松平、本田、阿部などの諸氏が城主となり幕末に及んだ。

白河のみどころ