立教館跡
立敎館址
昭和初期のガイド文
白河駅の北約200m、稲田のなかに老松の生える土塁およびその付近がそれです。立教館は松平定信が藩士子弟の教育を奨励したところで、後阿部氏はこれを修道館と称へ、魔藩まで存在していました。現存の土塁は館の西側に設けた弓砲場の一部で、その高い部分は砲術場、低い部分は弓場に属し、現在両道場内部は全部民家の敷地となり、もとの学舎、講堂を始め槍剣柔道場、苑池、中門、文庫などの地は田圃になっています。
※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 立教館跡
- かな
- りっきょうかんあと
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福島県白河市会津町
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の北約二〇〇米、稻田の中に老松の生ぜる土壘及その附近がそれである。立敎館は松平定信が藩士子弟の敎育を奬勵した處で、後阿部氏はこれを修道館と稱へ、魔藩まで存在して居た。現存の土壘は館の西側に設けた弓砲場の一部で、その高い部分は砲術場、低い部分は弓場に屬し、今兩道場內部は全部民家の敷地となり、もとの學舍、講堂を始め槍劍柔道場、苑池、中門、文庫などの地は田圃になつて居る。