中宮寺
昭和初期のガイド文
法隆寺東院の北東隣に位置する中宮寺は、「斑鳩尼寺」とも呼ばれています。聖徳太子の母である穴穂部間人皇女の宮殿を改めて寺としたものと伝えられています。創建当初は法隆寺の東方にありましたが、数百年の歳月を経て堂宇が廃れたため、文永年間(鎌倉時代、1264~1275年)に河内西琳寺の日浄と西大寺の思縁が現在の地に再建しました。この際、尼信如を住職として迎えています。本寺には有名な如意輪観音半跏像と天寿国曼荼羅図が所蔵されています。
如意輪観音半跏像[国宝] この像は推古天皇時代(飛鳥時代、593~628年)の代表的な傑作です。檜材の一木彫で、頂上から台座まで黒く光る光沢を見せていますが、元々は金箔が押されていました。高さは約1.58メートル(五尺二寸)で、左手で軽く頤を支える憶念相をとっています。その姿は非常に気高く、優雅な眉目と微笑の表情の中に深い慈悲の心が表現されています。法隆寺金堂三尊像や夢殿本尊の生硬な印象とは異なり、婉麗で温和な雰囲気を持ち、技法の進歩を感じさせます。また、光背の支柱が竹竿を模している点は、法隆寺の百済観音像と共通しています。
天寿国曼荼羅図[国宝] この作品は、生絹に彩色された絹糸を用いて刺繍された繍帳です。「天寿国」とは極楽浄土を指し、聖徳太子の薨去の後、王妃である橘大郎女が太子の往生の様子を追慕するために、采女たちに刺繍させたものと伝えられています。当初は二枚製作されましたが、現存するのは六枚の断片といくつかの小片のみで、それらをつなぎ合わせた形で残っています。縦約87.3センチメートル(2尺8寸8分)、幅約81.8センチメートル(2尺7寸)です。元々、周縁には百個の亀形装飾が施され、一亀につき四文字、計400文字の造像銘文があったとされていますが、現在は四個の亀形のみが残り、そのうち三亀に四文字ずつ、計12文字が確認されています。この銘文は『上宮聖徳法王帝説』にも記録されています。銘文によれば、図の筆者は東漢末賢、高麗加西溢、漢奴加已利、令者椋部秦久麻であり、いずれも帰化した氏族の人々とされています。そのため、画風は六朝式を引き継ぐもので、建築や物像の形式も大陸の美術様式に依拠しています。色彩は紺青、群青、緑青、黄緑、朱、黄、白、白緑、紅、丹、黒の十数色が用いられています。この作品はもともと法隆寺に伝来していましたが、文永11年(鎌倉時代、1274年)に中宮寺の尼信如が綱封蔵から発見し、当寺に移したと伝えられています。
天寿国曼荼羅図断片二点[国宝] 近年、正倉院から新たな断片が発見され、当寺に下賜されました。その中には銘文「利令者椋」の四文字が記された亀形装飾が含まれています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 中宮寺
- かな
- ちゅうぐうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
法隆寺東院の東北隣にある。斑鳩尼寺と稱し、聖德太子の御母穴穗部間人皇女の宮を寺に改めたものと傳へて居る。舊地は法隆寺の東方にありしが、創建の後數百年を經て堂宇廢頽せしを、文永年中河内西琳寺の日淨、西大寺の思緣等一宇一坊を今の地に再興して尼信如をして住せしめた。本寺には有名な如意輪觀音半跏像及天壽國曼茶羅圖がある。
如意輪觀音半跏像[國寶] 推古天皇時代の代表的傑作である。頂上から臺座に至るまで檜材の一木彫で、素地の光澤が今は黑く光つて居るが、もとは金箔押しであつた。高さ五尺二寸、左指で輕く頤を支へる憶念相の像で相好氣高く、秀潤な眉目と微笑のうちに深き慈悲を表はして居る。法隆寺金堂三尊や夢殿本尊の生硬さは失せて婉麗溫雅となり、技巧の進歩が窺はれる。光背の支柱を竹竿に擬したのは法隆寺百濟觀音と同樣である。
天壽國曼茶羅圖[國寶] 生絹に彩絲を用ゐて刺繡をした繡帳である。天壽國と云ふのは極樂淨土の義で、聖德太子薨去の後王妃橘大郞女が太子往生の狀を追懷せんため、采女等に刺繡せしめられたものである。もとは二張造られたのであるが、今日はその斷片六枚と外に數片を存するのみで、これを一枚の幅に繫ぎ合せたのに過ぎない。竪二尺八寸八分幅二尺七寸、もと周緣に百箇の龜形を作り一龜に四字全四百字の造像銘文があつたが、今は僅に龜形四箇あり、その三龜に四文字宛十二字を存するのみであるが、幸この銘文は、上宮聖德法王帝說に記されて居る。その銘文によると圖の筆者は東漢末賢、高麗加西溢、漢奴加已利、令者椋部秦久麻とあるから、圖案家は何れも歸化の氏族の人々である。それで畫風は六朝式を傳ふるものが多く、建築を始め、物像の形式は大陸藝術によつたものである。色彩は紺靑、群靑、綠靑、黃綠、朱、黄、白、白綠、紅、丹、黑の十數色が用ゐてある。この圖もと法隆寺に傳來したのであるが、文永十一年中宮寺の尼信如これを綱封藏より發見して當寺に移したのである。
天壽國曼茶羅圖斷片二點[國寶] 近年正倉院から斷片が發見され當寺に下賜されたが、その中に銘文の「利令者椋」の四字を記した龜形がある。
