郡山城跡
郡山城址
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
郡山駅から西へ約1キロメートル、郡山町の市街地の西側に位置する城跡です。かつて「犬伏城」と呼ばれ、天守閣や石垣、堀が現在も残っています。
最初の築城者は小田切春次で、天正13年(安土桃山時代、1585年)に豊臣秀吉の弟である大和大納言・秀長が修築しました。その後、江戸時代に水野氏、松平氏、本多氏を経て、享保9年(江戸時代、1724年)に柳沢吉里が入国し、以降は柳沢家が世襲して明治維新に至りました。明治初年には城が破却されましたが、本丸跡には柳沢吉保を祀る柳沢神社が建てられています。
城の南側にある二の丸跡は、城の主要部分で、現在は郡山中学校が建っています。東南には三の丸跡があります。城跡には多くの桜の木が植えられ、花の時期には見事な景観を楽しめます。また、城の北に位置する箕山には豊臣秀長の墓があります。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 郡山城跡
- かな
- こおりやまじょうせき
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 奈良県大和郡山市城内町2-255
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
郡山驛の西一粁、郡山町市街の西にあり、犬伏城と呼び、天守閣その他の石壘及び濠池を存して居る。始め小田切春次の築城で、天正十三年豐臣秀吉の弟大和大納言秀長が修築したが、その後江戶時代に至り水野、松平、本多諸氏を經て、享保九年柳澤吉里入國して以來、子孫世襲して維新に至り、明治初年に城が毀たれた。本丸址に柳澤吉保を祀る柳澤神社あり、その南の二の丸址は城の主要部で今郡山中學校あり、その東南は三の丸址である。城壘の石材には古寺址の礎石が多く利用されて居る。今城内には櫻樹多く花時には見事である。城の北、箕山には豐臣秀長墓がある。