行基墓
昭和初期のガイド文
[指定史跡] 大軌(近鉄)生駒駅から信貴生駒電鉄に乗り換え、一分駅の西南約500メートル、生駒村有里の山麓に位置します。この場所はかつて竹林寺の境内で、文殊山と呼ばれていました。現在は草むらの中に墓の跡地が残り、文殊堂の土壇などが遺されています。
竹林寺は行基によって開基され、天平21年(奈良時代、749年)に菅原寺で没した行基の遺骨がここに葬られました。文暦2年(鎌倉時代、1235年)に発掘され、銀製の骨壺と墓誌が刻まれた銅製の容器が発見されました。その後、土壇が修復され、これらの容器を埋めた上に文殊堂が建立されました。しかし、戦国時代に兵火で焼失し、後に再興されたものの、明治6年の廃仏毀釈で寺は廃止されました。発見された舎利瓶塔は現在、唐招提寺に保存されています。
なお、文暦の発掘で見つかった元の骨壺などは散逸しましたが、銅製の刻銘容器の破片が一片だけ残っており、これは竹林寺奥院の跡地とされる興山の高瀬家に所蔵されています。この破片は銅製の鋳物で、不正三角形の形をしており、幅約2センチメートルの枠線の中に力強い文字が刻まれています。
また、文殊堂の扉2枚や竹林寺旧蔵の木造行基菩薩等身坐像などは唐招提寺に所蔵されています。行基坐像は鎌倉時代中期の作であり、国宝に指定されています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 行基墓
- かな
- ぎょうきのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- かつてここにあった竹林寺が廃寺になっているとの記載ですが、平成9年(1997年)になってから再興され、現在は竹林寺が墓を管理しています。
- 住所
- 奈良県生駒市有里町211-1
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
[指定史蹟] 大軌生駒驛乘換、信貴生駒電鐵一分の西南半粁、生駒村有里の山麓の丘腹にある。舊竹林寺境內で文殊山と呼び、今草叢中墓址を存し、文殊堂の土壇等を遺存する。竹林寺は行基の開基で天平二十一年菅原寺に寂するや遺命によつて遺骨をこゝに葬つたが、文曆二年發掘せられ、銀製骨壺を納めた墓誌刻銘の銅製容器を發見したので、その後土壇を修築しこれ等の藏骨器を埋め、上に文殊堂を建てたと云ふ。然るに戰國時代兵火に燒亡し、のち堂は再興せられたが、明治六年廢寺となつて、遂に廢滅し、堂下から發見した再造の舍利瓶塔は唐招提寺に移して保存されるに至つた。文曆に發掘されたもとの藏骨器等は凡て散逸し、唯銅製刻銘の容器(舍利瓶)破片が一箇、こゝから約三〇〇米竹林寺奧院の地と傳ふる興山の高瀨家に所藏されて居る。銅製鑄物、不正三角形の破片で幅約二糎の罫線のうちに雄健な文字を刻して居る。
文殊堂の扉二枚及び竹林寺舊藏の木造行基菩薩等身坐像等は唐招提寺にいま所藏され、後者は鎌倉時代中期の作にかゝり國寶に指定されて居る。