唐招提寺

唐招提寺

昭和初期のガイド文

[律宗総本山] 大軌(近鉄)西ノ京駅から東北へ約500メートル、都跡村にあります。この寺は天平宝字3年(奈良時代、759年)、唐の高僧・鑑真(過海大師)が聖武天皇のために新田部親王の旧宅に創建した、日本最初の律宗寺院です。別名を龍興寺、建初律寺、唐律招提寺とも呼びます。平城七大寺のひとつとして大いに栄え、多くの堂宇が整備されていました。

中世には衰退しましたが、鎌倉時代に覚盛上人によって中興されました。その後、戦国時代には寺領および寺域が縮小されましたが、江戸時代に将軍・徳川綱吉および桂昌院の寄進を受け、伽藍の修復が行われました。これにより、ある程度旧観を取り戻すことができました。

現在も残る伽藍の中には、創建当初の金堂と講堂をはじめ、礼堂、鼓楼、校倉などがあり、鎌倉時代の建築物も見られます。また、各時代の優れた仏像が安置されており、寺宝の中には名品や貴重な古写経が多く含まれています。

金堂[国宝] 南大門を入ると正面の石壇の上に建てられています。この金堂は天平宝字3年(奈良時代、759年)、如宝が有縁の檀主を率いて建立したもので、現存する天平時代の建築の中でも最大かつ最も美しいものとされています。建物は七間四面の単層で、屋根は四注造(寄棟造)本瓦葺きです。前面は一間通りを開放しており、豊かで力強い列柱と雄大な斗栱が大胆に軒を支えています。大棟の両端には鴟尾が設けられ、荘重な外観を引き立てています。この鴟尾は当時の姿を伝える唯一の現存例で、斗栱は三手先を用いた完全な作りで、極めて完成度の高い建築です。

内部は北・東・西の各一間通りを外陣とし、中央の五間二面を内陣としています。内陣の天井は折上組入とされ、外陣の天井は組入天井として、その下には虹梁や蟇股が架けられています。この虹梁と蟇股の曲線は非常に美しく、また天井の格間、支輪、桂、虹梁、蟇股などに描かれた繧繝彩色の宝相華唐草文様が雄麗で豊かな装飾を見せています。この金堂は、規模が雄大で装飾も秀麗であり、天平時代の建築の代表例として極めて重要な遺構です。

内陣中央の石を用いて築かれた仏壇には、本尊である盧舎那仏像をはじめ、薬師如来立像、千手観音立像、梵天・帝釈天立像、四天王立像など、いずれも奈良時代を代表する優れた仏像が安置されています。

盧舎那仏坐像[国宝] 金堂の本尊で、乾漆塗箔の巨像です。像高は約3メートルで、その姿勢は雄大であり、顔立ちは特に荘厳です。天平時代末期に制作されたもので、最も偉大かつ技巧に優れた彫像のひとつです。全体のバランスは非常に良く、衣の襞の表現は自由でありながら写実性も兼ね備えています。螺髪は木製で、頭に漆を塗り付けて仕上げられています。仏体の構造は内部に骨組みを組み、布を貼って漆で固める木骨乾漆造で制作されています。さらに、背後に広がる大光背は本尊と同時に作られたもので、他に類を見ない独自の様式です。台座には豊かな蓮弁や框が施されており、荘厳な雰囲気を漂わせています。

薬師像[国宝] 本尊盧舎那仏の左側に立つ脇侍像で、木心乾漆造の立像です。像高は約3.7メートルあり、本尊ほど精緻ではないものの、重厚な相好と、流れるような衣の襞が特有の形式を示しています。この薬師像も、本尊と同時期に制作されたことは疑いのないものです。

千手観音像[国宝] 本尊の右側に立つ、堂々とした乾漆塗箔の巨像です。全高は約5.33メートル(17尺6寸)で、三つの目を持ち、頭上には十一面を戴いています。前面上部の二手を合掌し、主な腕として42本の手を広げ、その間に密集する小さな手を合わせて、千手を如実に表現しています。このような彫像は非常に珍しく、複雑な形態を見事にまとめ上げた技法は非凡です。特に光背には浮彫りで華文が施され、美麗かつ豊かな装飾が施されています。天平時代独特の美を堪能できる彫刻です。

梵天・帝釈天立像[国宝] 本尊の前方左右に安置されています。木造彩色の像で、高さは約1.82メートル(6尺余り)です。天平時代の優れた作品で、台座の蓮の部分に、この像が制作された当時に描かれたとみられる人物や馬、蛙、宝相華などの戯画があり、非常に珍しいものです。

四天王立像[国宝] 本堂の須弥壇の四隅に立っています。木造彩色で、高さは約1.82メートル(6尺)です。古い四天王像の中でも優れた作品で、梵天・帝釈天立像と同時代に制作されたものです。

大日如来坐像[国宝] もとは西山別房にあったと伝えられており、現在は本堂の外陣に仮安置されています。木像で高さは約3.33メートル(11尺余り)、非常に力強い姿を見せる平安時代初期の作品です。

講堂[国宝] 本堂の後方に位置します。この講堂は、当寺創建時に平城京の朝堂院内にあった朝集殿を賜り、ここに移築したものです。移築時や後世の修理により、いくらか原型が変化していますが、奈良時代の宮殿建築を偲ばせる唯一の遺構といえます。規模は間口9間、奥行4間で、単層の入母屋造り、本瓦葺きの屋根を持ち、軽快で優美な趣があります。講堂内には貴重な仏像や楽器があり、以下にその一部をご紹介します。

弥勒菩薩像[国宝] 講堂の本尊です。寄木造漆箔で、高さは約2.73メートル(9尺余り)に達する大きな仏像です。重厚な造形で堅実な手法が特徴で、鎌倉時代初期の作品です。光背と台座も同時期のもので、胎内には弘安10年(鎌倉時代、1287年)に修理された際の墨書銘があります。

持国天・増長天立像[国宝] 本尊の弥勒菩薩像の左右に安置されています。高さは各約1.21メートル(4尺余り)で、檜材を用いた一木彫りです。唐招提寺独自の形式を持つ、天平時代末期の作品です。

行基菩薩坐像[国宝] 寄木造着色玉眼で、高さは約1.15メートル(3尺8寸)です。豪快で力強い運慶風の技法による、鎌倉時代の優れた作品です。

仏部坐像[国宝] 2体あり、それぞれ釈迦如来と多宝如来の像と伝えられています。どちらも高さ1メートルに満たない坐像で、いわゆる「唐招提寺様式」の作風を示した平安時代初期の作品です。

菩薩立像[国宝] 観音菩薩像と伝えられており、貞観時代(平安時代)の一木彫です。彫刻の技法は堅実でありながらも清新な気品が漂う作品です。

如来形立像[国宝] 木造で高さ約1.5メートル。頭部と両手が欠損していますが、残された胴体部分の衣文は豊かで美しく、平安時代初期を代表する優れた作品です。

仏頭[国宝] 木心乾漆製で、高さ約88センチのものが1点。

仏頭[国宝] 木心乾漆製で、高さ約58センチのものが1点。

菩薩頭[国宝] 木心乾漆製で、高さ約73センチのものが1点。

以上の3点は、木で形を彫った後に乾漆を厚く塗り重ねて制作されたものです。現在では乾漆がほとんど剥がれていますが、その結果、造像の手法を知る手がかりとなっています。これらの仏頭は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて制作されたもので、「唐招提寺様式」を色濃く表し、平安時代初期の新しい造像様式の先駆けとなる作品です。

十一面観音立像[国宝] 木造着色で高さ約1.75メートル。一木彫成で作られており、宝冠の金具、髻頂仏の相、輪円光、左右に垂れる天衣、宝瓶、台座の伏仰蓮座以外は全体が揃っています。彫刻の技術は精妙であり、滑らかさが際立つ優れた作品です。奈良時代末期と平安時代初期の連続性を示しており、造像史上重要な位置を占めています。同様の作風の十一面観音像が、東京国立博物館に所蔵されています。

大威徳明王像[国宝] 木造で高さ約90センチ。6つの顔、6本の腕、6本の脚を持つ明王像で、水牛に乗った姿が描かれています。平安時代の作品です。

不動明王坐像[国宝] 木造で高さ約61センチ。力強さや迫力には欠けますが、精神的な力強さを感じさせ、細部にわたる造形の工夫が見られる作品です。製作者の湛海(たんかい)は、生駒山・宝山寺の中興の祖として知られる江戸時代の高僧です。

鼉太鼓縁[国宝] 木造で高さ約3メートル。双龍が玉を持ちながら左右に向かい合い、雲を吐きながら天に昇る様子が浮彫で表現されています。光背形の輪郭を取り入れた、堂々たるデザインです。

鉦鼓縁[国宝] 2点あり、どちらも木造で高さ約1.5メートル。「鼉太鼓縁」と同じ時代に制作されたものです。

鼓楼[国宝] 金堂と礼堂の間に位置する建物です。三間二面、重層、入母屋造、本瓦葺の構造で、仁治元年(鎌倉時代、1240年)に建築されました。もともとは経蔵として使用されていましたが、鎌倉時代の建築様式が色濃く残っています。

礼堂[国宝] 鼓楼の東に位置し、細長い建物です。桁行19間、梁間は前方が3間、後方が4間の単層屋根で、入母屋造、本瓦葺の建築です。鎌倉時代に建てられましたが、近世における修復が少なからず行われています。

釈迦如来立像[国宝] 木造の仏像で、礼堂の本尊として安置されています。建仁3年(鎌倉時代、1203年)に解脱上人が講堂を修復した際、釈迦念仏会の本尊として祀られたものです。高さは約1.64メートルで、使用材は赤栴檀とされ、木地のまま衣文に截金で線や円文が描かれています。この像は鎌倉時代に嵯峨清凉寺の釈迦像を模したものです。厨子は江戸時代に作られたもので、内側には胡粉彩色で釈迦の伝記が描かれています。

経蔵[国宝] 礼堂の東隣にある建物です。三間三面の校倉造で、当寺創建当初の建築ですが、鎌倉時代に修理が行われています。

宝蔵[国宝] 経蔵の北に位置する建物です。建築様式は経蔵と同じで、奈良時代に建てられた後、鎌倉時代に修復されています。この建物には多くの宝物が収められています。

開山堂 講堂の東側にあり、当寺の開祖・鑑真和尚坐像と中興開山・大悲菩薩坐像が安置されています。

鑑真和尚像[国宝] 鑑真和尚は、当寺の寺宝『東征絵伝』に詳しく記されています。鑑真和尚は、海路で幾多の試練を乗り越え、両目の視力を失いながらも、天平勝宝5年(奈良時代、753年)に来日し、日本の戒律宗の祖となりました。この像は天平宝字7年(奈良時代、763年)に、本寺の唐僧・忍義が夢で講堂の梁が折れるのを見て、和尚の入滅の兆しを知り、高弟の唐僧・思託に命じて制作させたと伝えられています。造像方法は紙を何層も貼り重ね、塗り固めた上に彩色を施した「紙張り像」と呼ばれる珍しい技法です。像の高さは約82センチメートルで、両手を膝の上に置いて端座し、目を閉じた失明の姿を表現しています。乾漆像のような自由な技巧は見られませんが、個性を的確に捉えた肖像として注目すべき作品です。

大悲菩薩坐像[国宝] 木造の高さ約1.8メートルの像で、本寺の中興開山である覚盛の姿を表しています。胎内には「于時應永乙亥二年(室町時代、1395年)八月十七日奉造立之所也招提寺大佛師成慶康慶法眼之流南都興福寺住」と記された墨書があります。細やかな技法が用いられながらも、繊細さにとどまらず、相応の力強さを感じさせる仕上がりとなっています。この時代の肖像彫刻の中でも特に優れた作品です。

地蔵堂 開山堂の西側に位置し、国宝に指定されている木造の地蔵菩薩立像が安置されています。この像の高さは約1.67メートルで、頭部には薄い乾漆が施されています。奈良時代の力強い作風を持ちながらも、平安時代初期の特徴を示している作品です。

  • 宝物
  • 法華曼荼羅図[国宝]絹本著色、一面
  • 天部形立像[国宝]木造、一躯
  • 三尊仏[国宝]押出銅造、一面 釈迦三尊を中央に、二菩薩、二飛天、六化仏、天蓋を配したもので、縦約45センチメートル、横約24センチメートルの唐風の押出仏として極めて優れた作品です。
  • 聖徳太子立像[国宝]木造、一躯 鎌倉時代末期に制作されたもので、聖徳太子孝養像として優れた作品です。
  • 阿弥陀如来像[国宝]煉製、一面 縦約33センチメートル、横約15センチメートル。像の頭部と脇侍は失われていますが、技術の高さが感じられる唐朝時代の作品です。像の下部には供養者、獅子、天人などが描かれており、非常に珍しい意匠といえます。
  • 根本説一切有部戒経および老母六英経[国宝]二巻 紙本墨書で、天平12年(奈良時代、740年)5月1日に光明皇后の願経として制作されたもので、跋文が記されています。
  • 大般若経 巻第176[国宝]一巻 紙本墨書で、願文には宝亀10年(奈良時代、779年)閏5月1日と記されています。
  • 大毘盧遮那成仏神変加持経[国宝]一巻 紙本墨書。上下2段に分けて書写された珍しい形式の写経で、裏書には承暦3年(平安時代、1079年)9月5日に読了と記されています。書写は平安時代中期のもので、音訓加点が付されていることも貴重です。
  • 瑜伽師地論[国宝]一巻 紙本墨書。弘安5年(鎌倉時代、1282年)に中宮寺の尼である信如が点を付けた奥書がありますが、本文の書写は平安時代中期と推定されます。
  • 四分律剛繁補欠行事抄 巻下の三[国宝]一巻 紙本墨書。平安時代中期に書写されたもので、現存する行事抄の中で最古のものです。
  • 戒律伝来記 上巻[国宝]一巻 紙本墨書。天長6年(平安時代、829年)に豊安律師が勅命によって撰述したものを、平安時代末期に書写したものです。保安5年(平安時代、1124年)に白点が加えられたことが奥書に記されています。
  • 四分戒本[国宝]一帖 紙本墨書で、寛元元年(鎌倉時代、1243年)に書写された奥書があります。
  • 梵網経[国宝]二帖 紙本墨書。寛元元年(鎌倉時代、1243年)に書写された奥書があります。
  • 宝篋印陀羅尼経[国宝]一帖 紙本墨書。
  • 唯識三十頌・大乗百法明門論・般若心経[国宝]一帖 紙本墨書。覚盛の筆であり、宝治元年(鎌倉時代、1247年)に書写された奥書があります。
  • 法華経(開結を含む)[国宝]十帖 紙本墨書。覚盛の筆で、寛元元年(鎌倉時代、1243年)2月に書写されました。
  • 四分戒本以下の書写物はすべて、唐招提寺中興の開山である覚盛が手がけたものです。
  • 奈良国立博物館に出品されている宝物
  • 東征絵伝[国宝]五巻 絹本著色。永仁6年(鎌倉時代、1298年)に画工の蓮行が描いたもので、高僧鑑真が中国から日本に渡来し、この寺を開創するまでの物語を絵巻物として仕立てた作品です。詞書は4筆で構成されています。
  • 大威徳明王像[国宝]絹本著色 一面。
  • 唐招提寺勅額[国宝]木造 一面。
  • 宝生如来立像[国宝]木造 一軀。
  • 獅子吼菩薩立像[国宝]木造 一軀。
  • 衆宝王菩薩立像[国宝]木造 一軀。
  • 仏頭[国宝]木造 一箇。
  • 京都国立博物館に出品されている宝物
  • 十六羅漢像[国宝]絹本著色 十六面。
  • 薬師如来立像[国宝]木造 一軀。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
唐招提寺
かな
とうしょうだいじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
奈良県奈良市五条町13-46
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[律宗總本山] 大軌西の京の東北半粁、都跡村にある。當寺は天平寶字三年、唐の高僧鑑眞(過海大師)が聖武天皇の御爲め新田部親王の舊宅に創建した我が國最初の律宗寺院である。一に龍興寺、建初律寺、唐律招提寺とも呼ばれ、平城七大寺の一として寺運大いに榮え、諸堂宇も完備して居た。中世はあまり振はなかつたが鎌倉時代に至り、覺盛上人によつて中興された。その後戰國時代に際會して寺祿及寺域を縮少され、江戶時代に入り、將軍綱吉及桂昌院の寄進を得て諸伽藍に修理を加へ、稍舊觀に復するを得た。現存諸堂字中には創建當初の金堂と講堂を始め、禮堂、鼓樓、校倉等、鎌倉時代の建築があつて、各時代の優秀な佛像が安置され、寺寶中にも名品及貴重な古寫經が少くない。

金堂[國寶] 南大門を入ると正面の石壇上に建つて居る。天平寶字三年創建當時如寶が有緣の檀主を率ゐて建立したもので今日遺存せる天平時代の建築中最大にして最美のものである。堂は七間四面單層屋根四注造。本瓦葺で、前面は一間通を開放して豐肥な列柱と雄大な斗栱とを以て大膽に出せる軒を承け、大棟の兩端に鴟尾を上げて莊重な外觀を與へて居る。この鴟尾は當時の遺制を徵すべき現存唯一の標本であり、斗栱は完全な三手先で、完美の域に達せるものである。

內部は北、東、西各一間通りを外陣、中央五間二面を內陣として居る。內陣の天井は折上組入となし、外陣は組入天井となし、その下に架した虹梁蟇股の形狀は頗る曲線美に富んで居る。尙天井の格間、支輪、桂、虹梁、蟇股などに描かれた繧繝彩色の寶相華唐草等は雄麗豐美の氣象を發揮して居る。要するにこの堂は規模雄大にして裝飾秀麗、今日遺存せる當代建築の代表的遺構である。

內陣の中央石を以て築かれた佛壇の上には本尊廬舍那佛像をはじめ、藥師立像、千手觀音立像、梵天、帝釋天立像及四天王立像等何れも奈良時代の優秀な佛像が安置されて居る。

盧舍那佛坐像[國寶] 金堂の本尊である。乾漆塗箔の巨像で高十尺姿勢雄偉、面貌特に森嚴、天平時代の末に成れる最も偉大にして技巧最も優れた彫像で、特に全體の格好最も權衡を得、その衣襞の施設甚だ自由にして寫生の要を得た作である。螺髪は木製で頭に漆付になつて居る。佛體の構造は內部に枠を組み布を張り漆で固めて塗り上げた所謂木骨乾漆造である。その巍然として舊面目を失はざる千釋迦の大光背も本尊と同時の作で、他に類例のない樣式である。臺座も豐麗な蓮瓣と框を備へて居る。

藥師像[國寶] 本尊廬舍那佛左方の脇侍である。木心乾漆の立像で高一丈二尺二寸あり、本尊ほど精巧ではないが、相好重厚、褶襞の流れ放大で特殊の形式を示して居る。本尊と同時の作であることは疑ひない。

千手觀音像[國寶] 本尊の右方に侍立する威風堂々たる乾漆塗箔の巨像で總高十七尺六寸、その形相は三眼にして頭上に十一面を戴き、前面上部の二手を合掌し眞手四十二臂、その間に簇出して居る小手を合せて如實に千手を現した類例のない靈像であつて、その複雜した形態を巧妙に綜合した技法は非凡である。特にその光背の浮彫華文は美麗且豐富にして、天平獨得の長所が見られる。

梵天帝釋天立像[國寶] 本尊の前方左右にあり、木造彩色、高さ六尺餘、天平時代の優秀な作である。臺座の蓮肉内にこの像製作當時に樂書されたものらしい人物、馬、蛙、寶相華等の戯畫が珍らしい。

四天王立像[國寶] 須彌壇の四隅に立つて居る。木造彩色高さ約六尺古四天王像中の優作で、梵釋二像と同時代のものである。

大日如來坐像[國寶] もと西山別房にあつたものと傳ヘ、今本堂の外陣に假安置されて居る。木像高十一尺餘、相貌頗る雄壯な平安初期の作である。

講堂[國寶] 金堂の後に立つて居る。當寺創建の際平城京の朝堂院内にあつた朝集殿を賜はり、こゝに移建されたのである。移建の際に於ける變更や後世の修補で、幾分原狀に變化を生じて居るが、奈良時代に於ける宮殿建築の俤を見るべき唯一の遺構である。九間四面、單層屋根入母屋造、本瓦葺で輕快溫雅の風致に富んで居る。堂内の佛像及樂器などの中注意すべきものを次に說明する。

彌勒菩薩像[國寶] 講堂安置の本尊である。寄木造漆箔、高さ九尺餘の巨像で、形態重厚にして手法堅實、鎌倉初期の作である。光背及臺座も同時の作で、胎內に弘安十年修理の墨書銘がある。

持國天增長天立像[國寶] 本尊彌勒菩薩像の左右にあり、高さ各四尺餘、檜材の一木彫で、唐招提寺獨特の形式を有する天平末期の作である。

行基菩薩坐像[國寶] 寄木造著色玉眼、高三尺八寸、豪宕な運慶風の手法に成る鎌倉時代の作である。

佛部坐像[國寶] 二軀あり、釋迦及多寶如來の像と傳へて居る。兩者共高さ三尺に達せざる坐像で、所謂唐招提寺樣の作風を示した平安朝初期の作である。

菩薩立像[國寶] 觀世音像と傳へ、貞觀時代の一木彫で頗る刀法堅實、清新の氣に滿ちた作である。

如來形立像[國寶] 木造高さ五尺餘、頭部及兩手等缺失して居るが、殘存體軀衣文の豐麗な平安時代初期の優秀な作である。

佛頭[國寶] 木心乾漆、高さ二尺九寸 一個

佛頭[國寶] 木心乾漆、高さ一尺九寸 一個

菩薩頭[國寶] 木心乾漆、高約二尺四寸 一個

以上三箇とも木で形を刻み、上に厚く乾漆を着けたもので、今はそれが殆んど剝落して居るが、そのために造像の手法が知られる。本寺の彫刻は多く奈良時代末期から平安初頭にかけて作られたが、これ等の佛頭もその一類で、相貌雄偉氣宇壯大所謂唐招提寺樣を示し、平安時代初樣式の先軀をなすものである。

十一面觀音立像[國寶] 木造著色、高さ五尺八寸、一木彫成にして寶冠金具、髻頂如來相、輪圓光、左右垂下天衣、寶瓶、臺座伏仰蓮座が後補である以外は全體具足し、彫皺の技精妙にして暢達、奈良末期と平安初期との間に於ける連系として造像史上珍重すべき優秀な作である。他にこの像と形相作技の近似せる十一面觀音像は東京帝室博物館に出陳されて居る。

大威德明王像[國寶] 木造、高さ約三尺、六面六臂六脚の像で、水牛に乘つて居る平安時代の作である。

不動明王坐像[國寶] 木造、高さ二尺餘、雄大な氣魄と折伏の威力は乏しいが、一種の精神力を感ぜしめ、細かい造形上の注意が見られる。作者湛海は生駒山寶山寺の中興と稱せらるゝ江戶時代の高僧である。

鼉太鼓緣[國寶] 木造、高さ約十尺、玉を持てる双龍が左右相對し、雲を吐いて昇天の勢を示せる浮彫を光背形輪廓に取り付けられて居る堂々たる形態のものである。

鉦鼓緣[國寶] 二個あり、何れも木造、高さ約五尺、鼉太鼓緣と同時代のものである。

鼓樓[國寶] 金堂と禮堂の間にある。三間二面、重層、入母屋造、本瓦葺、仁治元年の建築で、もとは經藏であつた。鎌倉時代の特色を存して居る。

禮堂[國寶] 鼓樓の東に細長く延びて居る建物である。桁行十九間、梁間前三間後四間、單層屋根入母屋造本瓦葺、鎌倉時代の建築であるが、近世の修補が少なくない。

釋迦如來立像[國寶] 木造、禮堂の本尊で建仁三年解脫上人が講堂を修補した時に安置して釋迦念佛會の本尊としたのである。高き五尺四寸、用材は赤栴檀と稱せられ素地の儘で衣文に截金で線と圓紋が描かれて居る鎌倉時代に嵯峨清涼寺の釋迦を模造したものである。厨子は江戶時代の作で內面に胡粉彩色の釋迦傳が描かれて居る。

經藏[國寶] 禮堂の東隣にある。三間三面校倉造の建築で、當寺創建當時のものであるが、鎌倉時代の修理を經て居る。

寶藏[國寶] 經藏の北にあり、建築樣式は經藏と同樣で、同じく鎌倉時代に修補された奈良朝時代の建築で、內部に多くの寶物を藏して居る。

開山堂 講堂の東にあり、當寺の開祖鑑眞和尙坐像と、中興開山大悲菩薩坐像が安置されて居る。

鑑眞和尙像[國寶] 鑑眞和尙は當寺の寺寶東征繪傳に詳しく述べられて居るやうに、海路幾多の辛酸を嘗め兩眼の明をさへ失つたが、遂に天平勝寶五年來朝して我が國戒律宗の祖となつた大德である。この像は天平貿字七年に本寺の唐僧忍義が夢に講堂の梁が折れて落ちたと見て、和尙入滅の兆を知り、和尙の高弟唐僧思託に命じて作らしめたと傳へて居る。その造像法は紙を張り重ねて塗り固め、更にその上に著色を加へたもので、俗に紙張の像と稱する珍らしい像である。高二尺七寸、兩手を膝の上に置いて端坐し、兩眼を閉ぢ、失明の姿を現はして居る。乾漆塑造像等に見る自由な技巧は見られないが、よく個性の特徵をとらへた肖像として注意を値する。

大悲菩薩坐像[國寶] 木造高五尺九寸、本寺の中興開山覺盛の像である。胎內に「于時應永乙亥二年八月十七日奉造立之所也招提寺大佛師成慶康慶法眼之流南都興福寺住」の墨書銘がある。細微な手法のものであるが纎弱に流れず、相當氣力も現はれて居り、形態も纒まり、この時代肖像中の白眉である。

地藏堂 開山堂の西方にあり、國寶に指定された木造地藏菩薩の立像が安置されて居る。高さ五尺五寸、頭部に薄く乾漆を着せて居る。奈良時代の雄健な作風を帶びた平安時代初期の作である。

  • 寶物
  • 法華曼茶羅圖[國寶]絹本著色 一面
  • 天部形立像[國寶]木造 一軀
  • 三尊佛[國寶]押出銅造 一面 釋迦三尊を中央に二菩薩二飛天六化佛天葢を配した堅一尺五寸橫八寸餘の唐式押出佛の優秀なものである。
  • 聖德太子立像[國寶]木造 一軀 鎌倉末期の製作で太子孝養像中の佳作である。
  • 阿彌陀如來像[國寶]磚製 一面 竪一尺一寸横五寸餘像の頭部と脇侍を失つてゐるが作技優秀唐朝製作のもので像の下方に區劃を作り供養者獅子天人等を現してゐるのは珍とすべきである。
  • 根本說一切有部戒經及老母六英經[國寶]二卷 紙本墨書、天平十二年五月一日光明皇后御願經の跋文がある。
  • 大般若經卷第一百七十六[國寶]一卷 紙本墨書、願文に寶龜十年閏五月朔云々とある。
  • 大毗盧遮那成佛神變加持經[國寶]一卷 紙本墨書、上下二段に書寫した他に類例のない珍らしい形式の寫經である。裏書に承曆三年九月五日讀了とあり書寫年代は平安朝中期で音訓加點あることも貴重である。
  • 瑜伽師地論[國寶]一卷 紙本墨書、弘安五年中宮寺尼信如移點の奧書があるが、本文書寫の年代は平安朝中期である。
  • 四分律剛繁補缺行事鈔卷下之三[國寶]一卷 紙本墨書。平安朝中期の書寫で現存行事鈔の最古のものである。
  • 戒律傳來記上卷[國寶]一卷 紙本墨書、天長六年當寺の豐安律師が勅によつて撰述したのを平安朝末期に書寫したもので、それに保安五年白點を加へたことが奧書で知られる。
  • 四分戒本[國寶]一帖 紙本墨書、寛元元年書寫の奧書がある。
  • 梵網經[國寶]二帖 紙本墨書、寛元元年書寫の奧書がある。
  • 寶篋印陀羅尼經[國寶]一帖 紙本墨書。
  • 唯識三十頌、大乘百法明門論、般若心經[國寶]一帖 紙本墨書、覺盛筆、寶治元年書寫の奧書がある。
  • 法華經、開結共[國寶]十帖 紙本墨書、覺盛筆寬元元年二月書寫。四分戒本以下盡く當寺の中興開山覺盛の書寫本である。
  • 左記寶物は奈良帝室博物館出陳
  • 東征繪傳[國寶]五卷 絹本著色、鎌倉時代永仁六年に畫工蓮行の描いたもので、詞書は四筆より成り、支那の高僧鑑眞和尙が支那から我國へ渡來して當寺を開創するに至つたまでの物語を、繪卷物に仕立てたものである。
  • 大威德明王像[國寶]絹本著色 一面
  • 唐招提寺勅額[國寶]木造 一面
  • 寶生如來立像[國寶]木造 一軀
  • 獅子吼菩薩立像[國寶]木造 ー軀
  • 衆寶王菩薩立像[國寶]木造 一軀
  • 佛頭[國寶]木造 一箇
  • 左記寶物は京都博物館出陳
  • 十六羅漢像[國寶]絹本著色 十六面
  • 藥師如來立像[國寶]木造 一軀