西大寺

西大寺
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

[真言律宗総本山] 西大寺は大軌(近鉄)西大寺駅の西南約100メートル、伏見村西大寺にあります。

西大寺は天平神護元年(奈良時代、765年)、称徳天皇の勅願によって、常騰による開基で建立され、「高野寺」と称されていました。東大寺と並び、南都七大寺の一つとして数多くの堂塔を擁し、繁栄を極めました。しかし、承和13年(平安時代、846年)以降、幾度もの火災に見舞われ、多くの堂塔や仏像が失われました。その後、鎌倉時代には叡尊(興正菩薩)が当寺に住して戒律を守り、寺の復興に尽力しました。叡尊の努力により、寺院は朝廷の帰依を得て堂塔が再建されましたが、文亀2年(室町時代、1502年)の火災で再び多くを失い、それ以降衰退し現在に至っています。現存する主な建物には、金堂、愛染堂、四王堂がありますが、いずれも江戸時代に再建されたもので、建築そのものとしての見どころは限られています。

金堂 南門を入って塔跡を通り過ぎると、七間五面、単層四注造の本瓦葺の金堂があります。

本尊釈迦如来立像[国宝] 木造、高さ約1.67メートル(5尺5寸)で、嵯峨清涼寺式の釈迦像です。この像は、叡尊の母が嵯峨で祈願して制作されたと伝えられています。檜材を用い、素地のままで、納衣の部分には金箔で描かれた蓮唐草模様が散りばめられ、衣の襞文にも截金線が施されています。この像は、清涼寺の原像に比べて日本的な要素が色濃く、鎌倉時代の写実的な技法が加わった現実味のある作品で、この種の釈迦像として優れた作例とされています。本尊の右側には文殊菩薩騎獅像[国宝]が安置されており、寄木造の漆箔仕上げで玉眼が嵌め込まれ、高さ約85センチメートル(2尺8寸)です。衣文には極彩色が施され、渡海文殊の形式をとった鎌倉時代末期の作品です。

愛染堂 金堂の傍らに位置し、以下の諸像を安置しています。

本尊愛染明王像[国宝] 蒙古襲来の際に叡尊が勅命を受け、敵国降伏の祈祷を行い、その霊験を得た本尊と伝えられています。寄木造で内刳が施され、極彩色仕上げ、玉眼入りの像で、高さ約31センチメートル(1尺4分)です。截金模様が美しく、彫刻も精緻で、鎌倉時代の優れた作品です。

興正菩薩坐像[国宝] 愛染堂内の右側の厨子に安置されています。木造、高さ約91センチメートル(3尺)で玉眼が嵌め込まれ、写実味のある表情を持つ鎌倉時代の肖像彫刻です。本寺中興の祖である叡尊の英邁な風格を偲ばせる作品です。

行基菩薩坐像[国宝] 木造彩色仕上げ、玉眼入りで、高さ約67センチメートル(2尺2寸)の鎌倉時代の簡素ながら優れた作品です。

四王堂 金堂の東隣にあり、五間四面の単層建築で、屋根は入母屋造の本瓦葺となっています。

本尊十一面観音立像[国宝] 四王堂に安置されています。木造漆箔で高さは約5.4メートルです。後世の補修により、元の姿がかなり損なわれている部分がありますが、藤原時代末期の様式をよく伝えています。特に、顔の表情や衣のひだの表現には優雅で美しい趣が残る大作です。

四天王立像[国宝] 四王堂に安置されています。持国天、増長天、広目天の三像は銅造、多聞天は木造、また四天王の足元にいる夜叉はいずれも銅造です。天平神護元年(765年)に勅願によって作られたこれらの像は、貞観2年(平安時代、860年)の火災により、多聞天1体と四王の夜叉を残して焼失しました。その後、再鋳造されたものの、文亀2年(室町時代、1502年)の火災で、多聞天の原初像は左脚の一部と夜叉を残して消失しました。現在の多聞天は木造で補作されたものです。持国天、増長天、広目天の銅像は貞観年間に再建されたもので、平安時代の古い手法が認められますが、姿や顔立ちには雄大さや荘厳さが不足しているとされています。それでもなお、四天王像のように動きのある姿をこれほど大きな像として鋳造することは非常に難しく、他に類似する作品がほとんど存在しない点からも、この像は彫刻史上、注目に値する作品です。また、四天王の足元にいる夜叉の像は、焼損の跡が痛ましいものの、奈良時代の雄大で豪快な作風を今に伝えています。

吉祥天立像[国宝] 木心乾漆で、高さ約1.7メートルです。丸紋が描かれ、極彩色を施した跡が残っています。この像は平安時代初期に作られた美しい装飾が施された遺品で、当時の美意識をよく伝えています。

  • 宝物
  • 舍利塔[国宝]一基 亀山天皇の勅封と伝わる銅製鍍金の塔で、高さ約34.2センチメートルです。意匠が軽快で、制作手法も優れており、鎌倉時代の工芸の特徴をよく伝えています。
  • 舍利塔(伊勢舍利)[国宝]一基 弘安6年(鎌倉時代、1283年)、叡尊が伊勢で参籠中に得た舍利を納めた塔と伝えられています。銅製で鍍金が施され、高さ約45.2センチメートルです。数層の蓮華座の上に玉縁と火焰縁があり、その中に舍利瓶が安置されています。鎌倉時代の工芸技術が凝縮された精巧な作品です。
  • 瓶形舍利塔[国宝]五基 金銅製で、五基がセットとなっています。中央の1基は高さ約25センチメートルで、周囲の4基は高さ約22.7センチメートルです。これらの舍利塔は銅製の瓶の中に納められ、飾り紐で結ばれた状態で鐵製多寶塔(以下の博物館出展品)内に並べられます。その形態は非常に美しく、制作手法も精巧で、鎌倉時代の工芸品として非常に優れたものです。
  • 壇舍利塔[国宝]一基 金銅製で、多寶塔の形状をしており、中には銅製の舍利塔が納められています。塔の底面には「文永7年6月1日」(鎌倉時代、1270年)の願主叡尊の銘があり、また「銅細工未長入道成仏」「坂上友末」「鋳物師友吉入道西珍」などの名前も刻まれています。この塔は鎌倉時代中期の工芸品の様式を知るための貴重な資料です。
  • 十二天像[国宝]十二幅 絹本着色で、縦約1.58メートル、横約1.33メートルの大幅な仏画です。多くの部分が剥落していますが、風天、水天、地天、帝釈天の4幅は比較的良好な状態です。図様は古式で、多くが禽獣に乗っています。描線や色調には高貴で荘厳な趣があり、平安時代の作とされています。このうち4幅は奈良国立博物館に出展されています。
  • 以下の宝物は奈良国立博物館に出展中
  • 阿弥陀如来、釈迦如来坐像[国宝]木造 二軀
  • 阿閦如来、宝生如来坐像[国宝]二軀
  • 舍利塔[国宝]伝叡尊感得 金銅製 一基
  • 多寶塔[国宝]弘安7年の銘あり、鐵製 一基
  • 金光明最勝王経[国宝]十巻 百済の豊虫による書写。紙本墨書で、蒔絵の箱に納められています。
  • 大毘盧遮那成仏神変加持経[国宝]七巻 吉備由利による願経。紙本墨書です。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
西大寺
かな
さいだいじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[眞言律宗總本山] 大軌西大寺驛の西南一〇〇米、伏見村西大寺にある。

西大寺は天平神護元年、稱德天皇の勅願により常騰の開基にかゝり高野寺と稱した。東大寺と相對し、七大寺の一として多數の堂塔を有し盛大を極めて居た。然るに承和十三年以來數度の火災に遭ひて、堂塔佛像等多く滅燼した。鎌倉時代に至り叡尊(興正菩薩)當寺に住して戒律を護持し、寺門の興隆に勉め朝廷の歸依を得て諸堂再建せられたが、文龜二年の火災にまた多くこれを燒失してより再び衰へ、以て今日に至つて居る。現存諸堂の主なるものは金堂、愛染堂、及四王堂等であるが、何れも江戶時代の再建に成り、建築として見るべきものはない。

金堂 南門を入り、塔址を過ぐれば七間五面、單層屋根四注造、本瓦葺の金堂がある。

本尊釋迦如來立像[國寶] 木造高五尺五寸、嵯峨清涼寺式の釋迦像で叡母が嵯峨に參籠祈請して作つたと云ふ。檜材を用ゐ、素地のまゝで納衣には處々に截金の蓮唐草の圓紋を散らし、襞文に截金線を置て居る。この像は清涼寺の原像に比べると餘程日本化され、鎌倉時代の寫生的手法が加はつて現實味を豐かに現はしたもので、この種模樣中の優秀な作である、本尊の右脇に文殊菩薩騎獅像[國寶]が安置されて居る。寄木造漆箔、玉眼、高さ二尺八寸衣文には極彩色を施して居る。四眷屬を隨へた渡海文殊で鎌倉末期の作である。

愛染堂 金堂の傍にあり、左の諸像を安置する。

本尊愛染明王像[國寶] 蒙古襲來の時叡尊が勅を奉じて敵國降伏の祈禱を修して靈驗のあつた本尊がこれであると云ふ。寄木造、內刳極彩色、玉眼入、高さ一尺四分、截金模樣美麗にして彫刻精緻、鎌倉時代の優秀な作である。

興正菩薩坐像[國寶] 愛染堂内右側の厨子に安置されて居る。木造高さ約三尺玉眼嵌入、面貌に寫實味の現はされた鎌倉時代の肖像彫刻で、本寺中興の祖として英邁な風格が偲ばれる。

行基菩薩坐像[國寶] 木造著色玉眼、高さ二尺二寸、鎌倉時代の簡素な作である。

四王堂 金堂の東隣にあり、五間四面單層、屋根入母屋造、本瓦葺の建築である。

本尊十一面觀音立像[國寶] 四王堂安置、木造漆箔高さ十八尺、後世の補修でもとの姿が大分損はれて居るが、藤原末期の樣式を現はし、面貌や衣紋に優麗な趣の存する大作である。

四天王立像[國寶] 四王堂安置、持國天、增長天、廣目天の三像は銅造、多聞天は木造、夜叉はいづれも銅造、天平神護元年の勅願に鑄造せられた四王像は貞觀二年の火災に、多聞天一軀と四王の夜叉とのみを遺して銷燼したのでやがて補鑄せられたが、文龜二年の災火に再鑄の三天は破損を免れ、原初の儘であつた多聞天は左脚の一部と夜叉とを殘して壞滅した。そこで多聞天が木造で補作せられた。持國增長廣目三王の銅像は貞觀年中罹災後間もなく再興せられたから、その服飾手法に平安時代の古調は認められるが、姿態相貌共に雄偉莊重な風格は存して居ない。然し四天王像の如き活躍せる肢體をかゝる巨像に鑄造することは、餘程の苦心を要することであつて、他に殆んど類似となるべき遺品なきを見ても、この像は彫刻史上注意すべきものである。四天王脚下の夜又は何れも銅造で燒損の痕痛ましき裏に、奈良朝の雄大豪宕の作風を示して居る。

吉祥天立像[國寶] 木心乾漆、高さ五尺七寸、丸紋を描き、極彩色を施したあとが殘つて居て、平安時代初期の美裝を凝した遺像である。

  • 寶物
  • 舍利塔[國寶]一基 傳龜山天皇勅封銅製鍍金、高さ一尺一寸三分、意匠輕快、手法優秀、鎌倉時代の作である。
  • 舍利塔(伊勢舍利)[國寶]一基 弘安六年叡尊が伊熱參籠の際感得した舍利を納めた塔と傳へて居る。銅製、鍍金一尺四寸九分、數層の蓮華座の上に玉緣、火焰緣中に舍利瓶を安置したもので顔る精巧な鎌倉時代工藝の特長を發揮した作である。
  • 瓶形舍利塔[國寶]五基 金銅製、この舍利塔は五基で一具をなし、五基何れも同じ形式であるが、中央の一基のみ大にして高さ八寸三分、他の四個はその四方に配せられるもので高さ七寸五分ある。その舍利塔は各銅製の瓶中に容れられ飾紐で結び鐵製多寶塔(後記博物館出陳のもの)內に並置されるのである。形態頗る美はしく、手法また精巧にして鎌倉時代工藝品の優秀なものである。
  • 壇舍利塔[國寶]一基 金銅製、多寶塔形をなし中に銅製舍利塔を納めた精巧な塔である。その方形壇の底面に文永七年六月一日願主叡尊の銘があつて銅細工未長入道成佛、坂上友末鑄物師友吉入道西珍の名が知られ、鎌倉中期工藝品の樣式規準を徵すべき貴重な資料である。
  • 十二天像[國寶]十二幅 絹本著色竪五尺二寸幅四尺四寸の大幅である。何れも剝落甚しいが、十二幅中、風天、水天、地天、帝釋天の四幅は比較的損傷が少ない。圖樣古式にして多くは禽獸に駕して居る。描線色調共に高古莊重、平安時代の作である。十二幅中四幅は奈良帝室博物館へ出陳。
  • 左記寶物は奈良帝室博物館へ出陳
  • 阿彌陀如來、釋迦如來坐像[國寶]木造 二軀
  • 阿關如來、寶生如來坐像[國寶]二軀
  • 舍利塔[國寶]傳叡尊感得 金銅製 一基
  • 多寶塔[國寶]弘安七年の銘あり、鐵製 一基
  • 金光明最勝王經[國寶]十卷 百濟豐虫書、紙本墨書、蒔繪箱入
  • 大毘盧遮那成佛神變加持經[國寶]七卷 吉備由利願經、紙本墨書