高島秋帆の墓
高嶋秋帆墓
昭和初期のガイド文
市内電車本郷肴町下車、東片町大円寺墓地の北端にあります。秋帆は長崎の人、近世砲術の祖で幕命によって江戸に来て、砲術を幕士に教授しました。江戸時代末期の慶応2年(1866年)69歳で没し、維新後に正四位を贈られました。なお門を入って左側に、水技中興洋学開祖と題する記念碑が建っています。熾仁親王の篆額で明治18年(1885年)の建碑です。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 高島秋帆の墓
- かな
- たかしましゅうはんのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 東京都文京区向丘1-11-3 大円寺内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車本鄕肴町下車、東片町大圓寺墓地の北端にある。秋帆は長崎の人、近世砲術の祖で幕命に依り江戶に來り砲術を幕士に敎授した。慶應二年六十九歲で歿し、維新後正四位を贈られた。尙門を入りたる左側に、水技中興洋學開祖と題する記念碑が建つて居る。熾仁親王の篆額で明治十八年の建碑である。