柳之御所遺跡(平泉館跡)

平泉館址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

西磐井郡平泉村、平泉駅の北の高館集落の東から北にわたっています。平安時代の嘉保元年(1094年)藤原清衡が江刺郡豊田館(今の岩谷堂町字豊田)から移り居館を構えて以来、基衡、秀衡を経て泰衡が鎌倉時代の文治5年(1189年)源頼朝に滅ぼされるまでの4代99年の間居住したところです。その北部は清衡、基衡の柳の御所、その南部は秀衡、泰衡の伽羅御所のあったところといいます。なお毛越寺山門の西に八花形と呼び、秀衡の長子国衡館の跡と称するところがあります。

※底本:『日本案内記 東北篇(初版)』昭和4年(1929年)発行

令和に見に行くなら

名称
柳之御所遺跡(平泉館跡)
かな
やなぎのごしょいせき(ひらいずみのたちあと)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

西磐井郡平泉村、驛の北方高館部落の東より北に亘る。嘉保元年藤原淸衡が江刺郡豐田館(今の岩谷堂町字豐田)から移り居館を構へて以來、基衡、秀衡を經て泰衡が文治五年源賴朝に滅さるゝまで四代九十九年の閒居住せし處である。その北部は淸衡、基衡の柳の御所、その南部は秀衡、泰衡の伽羅御所のあつた所と云ふ。尙毛越寺山門の西に八花形と呼び、秀衡の長子國衡館の址と稱する處がある。

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