小倉城
小倉城址
昭和初期のガイド文
小倉駅の南0.5km、小倉市の中央にあり、自動車の便があります。紫川(蒲生川)に臨み濠塁を遺存し、陸軍の兵営および小倉工廠等が置かれています。勝山または勝野城といい、安土桃山時代の天正15年(1587年)毛利勝信がここに入りましたが、慶長5年(1600年)勝信が西軍に応じたために除封され、細川忠興が代わってこの城を治めました。寛永9年(1632年)忠利の時肥後に転封し、小笠原忠直が播州から来て入城し子孫が以後相伝しましたが、幕末慶応初年(1865年)毛利氏の軍のためいったん陥落したことがあります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 小倉城
- かな
- こくらじょう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 天守閣は当時はなく、昭和34年(1959年)に再建されたものです。
- 住所
- 福岡県北九州市小倉北区城内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の南半粁、小倉市の中央にあり、自動車の便がある。紫川(蒲生川)に臨み濠壘を遺存し、陸軍の兵營及小倉工廠等が置かれて居る。勝山又は勝野城と云ひ、天正十五年毛利勝信こゝに居つたが、慶長五年勝信西軍に應じたために除封され、細川忠興代りてこの城に治した。寬永九年忠利の時肥後に轉封し、小笠原忠直播州から來りて入城し子孫相傳へたが、幕末慶應初年毛利氏の軍のため一旦陷つた事がある。