塙保己一の墓
塙保己一墓
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
市内電車麹町十三丁目停留場の西南愛染院の墓地にあります。前総検校塙先生墓と記されています。保己一は武蔵の人、7歳で失明しましたが、江戸に出て国書漢籍を修め検校となり、江戸時代後期の寛政5年(1793年)和学講談所を設立し、群書類従の編纂を完成しました。江戸時代後期の文政4年(1821年)77歳で没しました。著書には群書類従350巻のほかに武家名目抄などがあります。明治年間(1868~1912年)正四位を贈られました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 塙保己一の墓
- かな
- はなわほきいちのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 東京都新宿区若葉2-8 愛染院内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車麹町十三丁目停留場の西南愛染院の墓地にあり。前總檢校塙先生墓としるされて居る。保己一は武藏の人、七才にして明を失つたが、江戶に出て國書漢籍を修め檢校となり、寬政五年和學講談所を設立し、群書類從の編纂を完成した。文政四年七十七歲で歿した。著書には群書類從三百五十卷の外に武家名目抄などがある。明治年閒正四位を贈らる。